観光スポット周辺情報
- Sightseeing -

御座石神社

2020.08.22    観光スポット周辺情報

秋田藩主佐竹義隆由来の神社

 田沢湖の青をバックに、朱色が際立つ御座石神社の鳥居。御座石(ござのいし)神社という社名は、慶安三年(一六五〇年)に秋田藩主佐竹義隆公が田沢湖を遊覧した際、腰をかけて休んだことに由来する。

 朱塗りの鳥居のそばには、一本の木から七種類の木が生えた「七色木(なないろぎ)」や、たつこが飲んで龍となった「潟頭(かたがしら)の霊泉」、たつこが姿を映した「鏡石」などの名所も。

 辰子がまだ田沢湖の主になる前……。親孝行な辰子は、山菜取りなどでよくこの辺りに来た。そこには、鏡のように磨かれた不思議な石があり、鏡などない時代、たつこはこの鏡石に向かって髪を結いねんごろに化粧をしたと伝えられている。

 鏡石は、御座石神社の背後にある高鉢山(571m)の中腹に。急こう配の山道を約十五分。たどり着いた木製の展望デッキから数十m先に望むことができる。ぜひ一度は訪れていただきたい観光スポットだ。

文/太陽印刷 二方

Information

御座石神社(ござのいしじんじゃ)
〒014-0602 秋田県仙北市西木町桧木内相内潟1
☎0187-48-2630
■定休日:冬期休業
JR田沢湖駅より羽後交通バス「田沢湖一周線(右回り)」を利用、御座石神社にて下車、徒歩1分(所要時間約25分)。

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 朱塗りの鳥居がコバルトブルーの湖面に映えて美しい神社は、室町時代に建てられた歴史ある神社です。佐竹義隆の歴史や、七色木、潟頭の霊泉、鏡石などの名所でもありますが、美容と縁結びに効き目がある神社とも言われ、女性観光客からはパワースポットとしても人気が高い神社になります。

提供元:秋田の魅力発信サイト あきじん

たつこ像

2020.08.15    観光スポット周辺情報

そこでしか…仙北でしか見れない景色

 大自然が生み出す景観。同じ場所でも訪ねる季節や時間が変われば、その表情を変える。そして同じ表情に出会うことは二度とない。

 春であれば、生命の誕生を感じ、夏であれば生命の力強さを感じる。秋であれば、赤や黄色の色づきに日本の美を感じ、冬であれば一面の白に神秘を感じる。色濃く四季を感じることができる、それが秋田の自然なのだ。

 旅をする季節が変わるということは、その印象もぐっと変わることになる。目に見える色が変わり、匂いが変わり、触れられるものも変わる。だから同じ場所を旅しても、いつでも違う旅になる。

 我々は、今この瞬間にしか出会えない秋田の自然を「秋彩(あきさい)」と名付けた。

 仙北にある自然と触れられる有名どころ。何度も訪ねて、その移り変わる彩りを堪能して欲しい。

永遠の若さと美貌を願い、湖神となった伝説の美少女。

田沢湖の湖畔で会うことのできる伝説の美少女「たつこ姫」。湖の深さと空の色で湖面の色を碧や藍へと変化。そこに佇む金色のたつこ姫。目にする物全てが調和し、神秘的なイメージを醸し出す。田沢湖は日本で水深が一番深く最大深度は約423m。湖は海と違い、山から吹き出してくるパワーをその水に溜め込んだ素晴らしいパワースポットとも言われてる。

 伝説によると、田沢湖には八郎潟の八郎太郎がやってきて、辰子も八郎太郎の来訪に大変喜んだ。

 「なんとこの湖ば水は綺麗で、山々もすばらしい。なにより辰子ばいっぺべっぴんだ。ここで一緒に暮らせたら、幸せだべなあ。」と八郎太郎は言い、辰子はその思いを受け入れたそう。

 それから毎年、冬になると八郎太郎は田沢湖へ訪れた。主が留守の八郎潟は冬の間凍り、二人が同居する田沢湖は愛の熱で凍る事がなくなった。それどころか、愛の深さで田沢湖の水深はますます深くなったといわれている。

 八郎太郎と辰子姫の二人に関係するこの神社は、知る人ぞ知る縁結びの神社だ。

文/太陽印刷 二方

Information

たつこ像
〒014-0511秋田県仙北市西木町西明字潟尻
JR田沢湖駅より羽後交通バス「田沢湖一周線」を利用、潟尻にて下車、徒歩1分(所要時間約30分)

Access Map

提供元:秋田の魅力発信サイト あきじん

文化探訪

2020.08.08    観光スポット周辺情報

そこでしか…角館で受け継がれる文化を訪ねて

 そこには長い間、人々が暮らしてきた足跡がある。地域が違えば、気候も違う。気候が違えば、自然も違う。自然が違えば、食も違う。もちろんそこに暮らす人のルーツも違う。

 人々は長い歴史の中で、独特の文化を創造し、五穀豊穣、無病息災など、そこに暮らす人々がより幸せになることを願ってきた。そしてその足跡として無形文化財や有形文化財が残っていることが多い。

 地域の魅力とは何だろう。新しく創造するものなのだろうか。実はすでにその地域にあるのではないだろうか。私は「文化」がそれにあたると思う。

 旅をして「そこでしか」を味わう入口と「文化」がある。そして訪ねる前に、その背景を知っていれば、また深みが違う。

 訪ねる前にぜひ一読して欲しい。

角館の武家屋敷

 「みちのくの小京都」とも呼ばれる角館。その始まりは定かではないが、角館の名がはじめて記録に登場するのは、豊臣秀吉の小田原攻めにも加わった大名、戸沢氏の系譜の中である。戸沢氏は標高一六八メートルの古城山(当時は小松山と呼ばれていた)に角館城を築城し、正面を北側に配し山麓には給人屋敷を配した。その後、情勢を窺って徳川方へと就いた戸沢氏は、安定した基礎を角館の地で築き上げていく。

 慶長七年、徳川幕府の基礎が整い、転封・移封が相次ぐと、戸沢氏は常陸松山城へと移り、代わって水戸より佐竹氏が秋田一円の領主として移ってくる。佐竹氏の命により角館を統治していた芦名氏は町の狭さや水害、火災に悩まされ、元和六年に古城山の南側へと新しい町造りを始める。

 これが、みちのくの小京都として現在まで残る角館の町並の原型である。

 芦名氏の築いた城下町は南北に三本の道路を通し、中央の道路をメインとして三五〇メートルでマス型地形とし、さらに同じ長さの道路を伸ばす。ここまでを武士の居住区域、内町と呼び、ここより南を商人の居住区域である外町と呼ぶ。内町と外町の分離帯は、幅二一メートルの広場に土塁を築き「火除け」と呼び、この地域とそれに隣接する商人町の横町のみが東西に直線で通ずるようになっているほかは南北または東西に直線で繋がることのないように配慮されている。

 また、中央の道路は十一メートルの幅員をもち、家老以下の上級武士が居住し、その東側にはこれに準ずる武士、西側は徒士や足軽の居住区域に区分されていて、階級や知行高によって敷地居住にも規模の違いがあった。

 武士の居住は大小にかかわらず、門があり、道路より少し奥まって玄関、取次ぎを設けていた。また、階級や身分による差は屋敷の部屋割りや水回りの便に表れていた。現在まで三八〇年余を経過したが、基本的な道路配置、屋敷区分は変わっておらず、武家屋敷の門前には「馬乗石・馬つなぎ石」、塀には女性が大名行列を覗くための「のぞき窓」が現在でも残っている。

 こうして角館の町並を整えた芦名氏であったが、後にその家系は断絶してしまう。芦名氏断絶の後に「所預」として角館支配の任についたのが佐竹北家であった。北家時代の初期は農業開発が急速に進展し、また、林業・手工業の奨励、保護によって産業基盤の強化が図られ、商業活動も活発化し、角館は仙北郡の政治、経済、文化の中心としての基盤を確立していく。

花開く文化

 特に文化の面では、角館は久保田藩の文教の地と称揚され、文化的伝統を培った。

 北家角館初代の佐竹義隣は京都の公家の出自であり、二代義明の室も三条西家の娘であった。北家当主は芸文を好む者が多く、家臣や組下武士においても、解体新書の挿絵を描き「秋田蘭画」の第一人者ともされる小田野直武を筆頭に学問や芸術に優れた人材を輩出するなど、二代にわたる京都との交流によって、角館は京文化の色濃い影響を受けた。

 また、武家屋敷町並の百数十本の枝垂桜は、義明が京都から枝垂桜の苗木を取り寄せ植えたのが繁殖したと伝えられている。

 角館が「みちのくの小京都」と称されるのは、町並の美しさに限らず、こうした京都に似た自然と文化的伝統の土地の故であろう。

石黒家

 武家屋敷通りの北端に位置する石黒家は角館に現存する武家屋敷の中で最も古いものだ。門をくぐると起こり破風に懸魚の飾る正玄関と脇玄関が見られる。庭にはモミやしだれ桜などの木々が植えられている。実際に座敷の中に上がり、係員の案内の下、見学することも可能。明治・大正期に増改築した蔵が展示場所となっており、貴重な資料を観覧できる。

 代々財政系の仕事に携わっていた。学問に長けており、家塾を開いたり種痘の治療法を初めて角館に取り入れたりと町の暮らしに貢献していた。

青柳家

 青柳家は角館の武家屋敷の中で現在もっとも広い三千坪の敷地を有し、主屋や三つの蔵、庭の細部まで有料で見学することが出来る。庭の随所のこだわりから青柳家の位の高さが窺える。四季折々の花木が植えられており、いつ訪れても鮮やかな景色が見られるだろう。蔵の内部には歴史的な資料がその説明と共に展示されている。主屋は寄棟萱葺き屋根の鍵屋で、その座敷は現存する角館の武家屋敷のなかで最も豪華である。

 代々の役職は納戸役を担っていた。

 敷地内にあるハイカラ館ではアンティーク時計や蓄音機を観覧しつつ喫茶店で一休みできる。

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岩橋家

 岩橋家は武芸に長けた家系で、藩主の前で新天流槍術を披露することもあった。屋敷は現存する武家屋敷の中でもかなり古いものである。角館はしばしば火災に見舞われているが、特に大きかったのが明治三三年の火災だったがこのときに東勝楽町で火の手を逃れたのがこの岩橋家と河原田家である。明治三〇年頃に木羽葺き屋根に変えていたためと言われている。また庭には柏や栗、枝垂れ桜などが植えられ、特に柏は樹齢二五〇年ほどの秋田有数の巨木である。家は木羽葺き屋根に切り妻造りだ。

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河原田家

 ここでは書院造を踏襲して建てられた屋敷を存分に見学することが出来る。まず、目に飛び込んでくる玄関口や座敷が素晴らしい。まさに日本の古き良き文化を目の前にしているという喜びがある。しかし今回ぜひ注目して欲しいのは襖に描かれた壮大な絵や蝶の形をした留め具、そしてつやめく雨垂れ石など実に細かい部分だ。それぞれに持ち主がたどった歴史やエピソードが宿っているということなので現地にいる係員さんに訊いてみるのもいいかもしれない。

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小田野家

 駅から武家屋敷通りへ歩き一番最初に出会うのがこの小田野家だ。秋には真っ赤に葉を染めたドウダンツツジが迎え、前庭には笹が綺麗に茂る。聞けば周りを囲む木々も夏の日差しや冬の寒さを遮るための工夫だったという事で、こうした一見何気なく思えるような所も先人たちの生活を感じることが出来るポイントだ。

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 小田野といえばかの有名な「解体新書」の表紙を描いたとされる小田野直武が有名だが、その一族である小田野家当主もまたそれぞれに薬師としての仕事や武芸などで秀でた才を発揮していたようである。建物の素晴らしさを堪能しながら彼らの生き様、活躍にぜひ思いを馳せてほしい。

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角館祭りのやま行事

 角館を語る上で外すことの出来ないのが毎年九月七日から九日まで三日間かけて行われる角館祭りのやま行事、通称「やまぶっつけ」だ。一九九一年に国の重要無形民俗文化財、二〇一六年にユネスコ無形文化遺産にそれぞれ指定され、ニュース等で耳にしたことがあるという人も多いかもしれない。この祭りは地域の繁栄や無病息災などを祈って江戸時代中頃から続く歴史あるもので、毎年このためにわざわざ県外から帰省する人もいるという。

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 初日には角館神明社、二日目には成就院薬師堂へ各ヤマが参拝しお祓いが行われる。最終日には夕方から数々のヤマが町中を練り歩き、通行の優先権を巡って交渉やぶっつけが白熱する。毎年職人や有志によって作りこまれるヤマは壮大でそこに立つだけで迫力があるが、いざ始まると更に圧が増してくる。上に立つ男衆の掛け声に合わせてぶつけ合うとあまりの勢いに片方がもう一方のヤマに乗り上げてしまうことも。しかし傾くヤマの姿もまた壮観だ。練り歩く際おやま囃子に合わせて舞われる手踊りも美しく、見る者の心を魅了してくれる。

 町全体が熱気に包まれる、地元愛に満ちたこの祭り。ぜひ足を運んでその思いと迫力を体感して欲しい。

文/秋田大学 菅原

 

角館の紹介

2020.08.01    観光スポット周辺情報

 秋田県の東部、岩手県と面した地にある仙北市は角館町と田沢湖町、西木村が合併し平成17年に発足した。人口は27191人(平成29年7月31日現在)、ほぼ中央の位置に日本で最大の深度を誇る田沢湖を有し、市の東が秋田駒ヶ岳、北に八幡平、南は仙北平野へと続いている。気候は盆地特有のもので明確な四季を持つのが特徴だ。年間の最大最低気温差が40度以上あり、秋田県内で最も時期による気候の差が大きい。特に冬季の降雪量は多く国内有数の豪雪地帯にも数えられている。

 仙北市の一部分である角館はかつて小松山城を中心として栄えた地である。小松山城南側一帯には芦名氏や佐竹氏家臣たちによって造られた武家屋敷の一部が現存しており、「みちのくの小京都」と呼ばれている。この武家屋敷通りは内町と呼ばれ、商人や平民が暮らしていた外町がこれに続く。武家の雰囲気と商人の生きざまをそれぞれ楽しむことができる。

 通りから少し外れると天照大神を祀る角館神明社、別の場所には鳥居のある成就院薬師堂という寺が見られる。どちらも平成28年12月にユネスコ無形文化遺産に登録された「角館祭りのやま行事」と深くかかわる場所だ。

 角館は訪れる時期によってその表情を鮮やかに変えることも特徴の一つだ。春は桜。武家屋敷と共に私たちを手招きするように揺れる淡い色の桜も、川岸で水の青色と対比を成す桜も、どちらも角館の魅力を語るうえで欠かすことができないだろう。夏は新緑。桜が散ると、鳥の声と共に鮮やかな緑が出迎えてくれる。夏が深まれば蝉の声が夏の魅力をさらに引き立ててくれるだろう。秋は紅葉。何本も立ち並ぶ木々の緑が薄まり黄色、赤と色を変えていくさまは時間の移ろいを感じさせる。夕暮れ時にあきあかねが飛び交う景色は歌人でなくともおもわず言葉を紡ぎたくなるほどの感動をあたえるだろう。冬は雪。しんしんと降り積もる雪は周りの音を吸い込み他の季節よりも静かで穏やかな時間を与えてくれる。雪の合間に顔をのぞかせた太陽の光がきらきらと反射し一層景色が明るく見えるさまやよし、夜道を照らす明かりを雪がひっそりと包み込む景色もまたよいものである。

 さて本書の作成にあたって、私たちは特に「人々」にフォーカスを当てて取材をしてきた。角館の町の魅力は実際に町で暮らす人々の想いがあってこそ続いていくものだろう。角館の人々の誇りが本書の記事の中で少しでも伝われば幸いだ。

 自然豊かで、さらに人々の強い志を感じることのできる角館をぜひ訪れてみよう。

         文/秋田大学 野中

提供元:秋田の魅力発信サイト あきじん

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